比叡山飯室谷不動堂のご紹介

飯室谷(いむろだに)不動堂は根本中堂、釈迦堂、横川中堂、無動寺明王堂と並ぶ延暦寺五大堂の一つで別所飯室谷の山腹に位置している、天台宗のお寺でご本尊は不動明王立像です。
千日回峰 千日回峰 千手堂 不動滝 千日回峰
護摩供 千日回峰 藤波源信 慈忍和尚 不動堂
不動明王 天台比良修験道 千日回峰 千日回峰 護摩堂
不動堂

比叡山飯室不動尊縁起

夫れ我が比叡山飯室谷は、本山随一の霊地にして、谷下を透して琵琶湖の展景を勝する幽玄境であります。
ご本尊は霊験顕著なる不動尊であります。

今を去る壱千有余年の昔、比叡山の第三祖慈覚大師が唐の国に渡り不動の秘法を求めて以来始めて霊瑞を感じ此の地に道場を設け、一心不乱の御修行を遊ばしたとき、何れよりか一人の老翁現はれ、仏供を設け、糧物を調へてまめまめしく大師に給仕をいたしました。
その尊容が世の常の人とも思へぬので、大師は不思議に思はれ、何事なる因縁をもって給仕し給ふかとたづねられたが、老翁は黙して答へず、まことを尽くして大師に仕へました。

大師は日夜の修法怠りなく、朝夕の錬行を運ばれた甲斐あって不動尊を感見し修行を成就せられました。

慈覚大師
此の時給仕の老翁、大師の御前に進み、

  私は弁財天十六童子の一人飯櫃童子の化身であります。此の地は当山まれに見る衆生の因縁深き霊地であります。
  此の度び御修行につき老翁と化して行法を助けましたが今や不動尊を感見せられ行願を成就せられたについては速かに尊像を刻して衆生を利益せられよ。


と告げて消え失せました。
大師は随喜の涙にくれながら感見せられたままの尊像を刻み御堂を建てて之を安置し懇ろに開眼の供養を営まれ、飯櫃童子の因縁により谷を飯室となづけ寺を宝満寺と称へられました。
その後第十八代の祖師元三大師は此の堂に籠って千日の間一日三座の護摩を修せられ、そのお弟子慈忍和尚は修身の行を誓願して不動尊に祈願を籠められ遂に修力に神通を得て三代の天子を守護せられ霊験を示されました。
これによって歴代の天子は不動尊に勅願を運ばれ九条関白家は代々祈念を御本尊にいたされましたのであります。
不動尊は降魔利生の大法尊であります。ひとたび祈りを捧ぐる者は必ず転禍為福(てんかいふく)の御利益を授けられ、祈願を満足せしめられます。
千日回峰
   

由来

  平安時代、良源(912-985)は愛弟子・尋禅(943-990)のために、飯室谷に妙香房を建立。
  985年 良源没後、尋禅は妙香院と改称し整備拡充する。
  990年 藤原師輔より荘園を与えられる。第66代・一条天皇の御願寺となる(「山門堂舎記」)。
この際に、不動堂が建立され、尋禅は、良源相伝の不動明王像を本尊として安置した。
  室町時代初期 尊道親王(1332-1403)が入り御門跡といわれた。青蓮院門跡が兼務する。(「足利尊氏氏書状」)
  1571年 織田信長の焼き討ちにより焼失し、以後、復興されなかった。
  1590年 松禅院慶俊が、横川恵光坊流の回峯一千日を満行し飯室回峯が確立さる。その後、回峯行は途絶する。
  1753年 諸堂の整備、慈忍御廟などが修復。  
  1944年 箱崎文応師により百日回峯が満行。  
  1987年 酒井雄哉師は、回峯一千日を満行した(2回目)。護摩堂、閼伽屋敷なども整備され、恵光坊流の回峯が復活する。
  2003年 藤波源信、千日回峰行を成し49人目の北嶺大行満大阿闍梨となる。  


藤波源信経歴

 
藤波源信
大阿闍梨 藤波源信   
比叡山延暦寺 大行満 比叡山千日回峰行者 大阿闍梨
1959年 三重県四日市市生まれ。
満17歳で比叡山延暦寺にて得度を得る。
翌年,叡山学院入学後に,酒井雄哉阿闍梨の飯室谷に移住し,酒井雄哉阿闍梨の千日行に随身する。
昭和59年回峰行初百日行達成。一度比叡山を降り僧侶を辞め,一般社会人として会社勤めを経験する。
平成5年,「山家学生式」による十二年籠山行に身を投じ,同時に千日回峰行の修行に入る。
平成15年9月18日満行。
平成15年10月19日,参内加持。
平成17年,十二年籠山を円成する。
平成18年、比叡山山麓,飯室谷松禅院に居住する。
平成25年、比叡山飯室堂長壽院の住職となる。
 

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